映画シン・ゴジラを見て、感動的なシーンを期待していた分、あれっと終わってしまったな、という印象でした。
1初期のゴジラは畏敬の念と涙
初期のゴジラは、人類の脅威としての核使用への反発、結果生み出される悲劇の産物としてのゴジラ。無抵抗な人々を恐怖のどん底に陥れる巨大怪獣は、神の意志ではなく、人間が武器をして生み出した核爆発により、想定外の結果として出現し、そして人類の敵として哀れにも消滅させられる運命にある。どことなく畏敬の念と涙をそそったものです。
被爆国である日本人の心の中にある、ある種の無常感の共感も呼び、大ヒットとなった古い記憶。その後は、高度成長時代の活況に乗っかって、アミューズメント色の強い怪獣同士の戦い、プロレス興行に近い路線となって、下火となっていきました。
2今回のシン・ゴジラ、近未来のジレンマと乾いたドラマ
今回のシン・ゴジラは、もはや戦争に核兵器の使用が現実味を帯びている近未来において、核を持たない、戦争放棄の国日本においても、いとも簡単に核爆弾が落ちることも想定内とするリアリティ。核の破壊力でしか倒せそうにないゴジラに、通常兵器をどんなに完璧に駆使したところで、全く歯が立たない絶望感。戦争さながらに破壊される東京。奮闘する政府と官僚、そしてジレンマ。最後に頼るのは、民間技術と官主導で官民一体となった連携、「血液凝固剤」製造と投入、巨大クレーンと新幹線。あれよっとゴジラ凍結。終了。
過去の残忍な戦争への反省から生まれた涙を禁じ得ないドラマから、集団的自衛権、平和憲法、多国籍軍など、まさに現在国民に突きつけられた厳しい課題、それらに目を向けざるを得ない、現実味のある乾いたドラマには涙の要素は一つもありません。多くの人が亡くなっているというのに。
3「眠りから覚めよ」とばかりの問題提起
さて、現実にゴジラが東京に出現したら自衛隊は出動するのか? そして自衛隊は真の防衛力を発揮できるのか、という疑問は、「そのまま現在の自衛隊と憲法で国を守れるのか?」という今の日本における危機管理上の問題を提起しているようです。
「一方的だな、かの国は」とアメリカの属国としての強いストレスをドラマのあちこちに織り込んだストーリーは、沖縄普天間問題に直面する沖縄県民の思いの全日本への拡大版でしょうか。
緊迫感を増しつつある世界情勢。大人も子供も楽しめるゴジラ映画の中で、能楽師野村萬斎演じるゴジラの姿と動きは、日本の伝統の動きと霊性を醸し出し、「まるで眠りから覚めよ」と危機意識を刺激しているようでした。そして「必ず未来は開ける」と言わんばかりの深刻さで。
4ドラマの中でも聖地としての神社
でも、この現実的被災感覚がかえって幸いし、冷静に舞台背景などを見ることができました。 人々が逃げる先の神社、自衛隊の基地も神社。神社の風景は日本人の生活に当たり前のように溶け込んでいるスピリチュアルな場所だとあらためて感じました。
恐らくそこは、古い時代から数しれぬ災害を逃れてきた場所に違いありません。海岸や川辺にあって、長年安全な場所と見なされていたであろう高台や丘など、急な石段がそれを象徴しています。(愛宕神社に似たロケーションの神社と多摩川浅間神社)
勿論最初から平地に作られた、意図的な聖地としての神社も当然ありますし、山岳の神社もあります。 神社に出かける時は、それぞれの時代背景などもよく知って、お参りしたいものだと思います。
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