☀中村医師、アフガンに死す!

中村医師がアフガニスタンに捧げた志の原点は何?

なぜ、こんなことになってしまったのか。
祖父母から受けついだ正義感
さいたまスーパーアリーナ
U2ボーカルのウノが呼びかける。

桁違いのスケールで何万白万の命を救ってきた中村医師のひつぎ
をアフガニスタンのガニ大統領がかつぐ

無言の帰国

医師、中村哲さん アフガンに死す!

アフガニスタンについて熱く語ったこと、

35年前、
中村哲先生は、始めは医師として、現場に渡りました。
そのとき先進国の医療など、まったく通用しない現地の実態に
愕然としたそうです。

そして、痛感したのが
「医者100人より一本の用水路」が命を救う!ということ

水不足、
それは
体力のないものの命を奪っていく。それを目の当たりにした先生は、

ついに、
2003年 、信じがたい決意をすることになったのです。

「毎年多くの人が水不足でしんでいる」「なら用水路を作ろう」
と、

それからというもの、経験したことのない土木技術に挑戦したの
です。

すなわち

「全長13kmにわたる用水路の建設に着手する!」

個人の強い意思と、それを支えようとする周りの理解者の援助も
あったようです。

用水路はまず、川をせき止めて、取水ぜきをつくるところから始
まりました。

一から独学で土木工学を学習し、
水流を正面で受けないで斜めに受ける堰の方式という古来の土木
技術の粋を会得、

とうとう取水ぜきをつくることに成功します。

つづいて全長25キロメートルの用水路の建設に着手
そして完成しました。

この工事では、中村先生自らが、経験もない大型重機を運転して
開削工事を行いました。

信じられないことですね。

これは国家プロジェクトでやっと成し遂げることのできるレベル
の巨大事業ですね。

建設会社でも、おそらく何億何十億円の資金と、何十人何百人もの
作業員を必要とし、何年もの年月をかけて建設するほどの大規模
工事です。

まさに「夢の事業」です。

そして

なんと、見事に、砂漠を緑に変えることが出来ました。

このように、自分の一文の得にもならない、こんな大変なことを
中村先生は、どうしてやることになったのでしょうか!

この精神の原点をTVが取り上げて、紹介していました。
それは
祖父の「玉井金五郎」という、「花と龍という映画」にもなった
実話のすごい伝説でした。

この映画は、かつて「高倉健、藤純子」「石原裕次郎、浅丘るり子」
など、大スターたちによって演じられてきたもので、多少任侠ものに
つくりかえられていますが、大人気映画でした。

あらすじはこんなふう

~~~ ~~~ ~~~
不屈の精神で国と戦う心意気
弱者に寄り添う
自衛隊派遣は有害無益
武器ではなにも解決しない
貧困の解消なくして紛争の解決はない
信念つらぬいた生涯の原点
時の大スター石原裕次郎と浅岡ルリ子の演じる「花と龍」という小説になった。

港湾労働者 かれらのために戦う。
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参考:☞
2006年、京都論楽社のブログに、映画とあわせ、当時の中村哲さんの活躍する様子がインタビューで取り上げられています。

金力と権力におもねず-玉井金五郎と中村哲

 中村哲さんのTVが始まる。タイトルは、「アフガニスタン・命の水を求めて-ある日本人医師の苦闘」(同じタイトルのテキストがもうすぐ刊行される、NHK出版)。
 NHK(教育)の「知るを楽しむ」という番組。6月と7月の2か月間、毎週月曜日の夜10:25~10:50に放映。
 5月19日に博多に中村哲さんを訪ねた折(5月25日の連載コラム「いまここを紡ぐ」)、哲さんと火野葦(あし)平さん(1907~60)の話になった。

火野さんは哲さんの叔父。本名は玉井勝則といって、玉井金五郎の長男。哲さんのお母さんの父親、祖父の玉井金五郎は、石炭の沖仲士(おきなかし、港で荷揚げ作業をする男たち)の組合「玉井組」を立ちあげた。男たちの師父。
 玉井組の隆盛のようすは、火野さんの代表昨『花と龍』(上・下、岩波現代文庫)に詳しい。玉井マン(哲さんの祖母)の気迫が深い。「暴力世界に投げこまれながら、頑強に、父はバーバリズムとたたかって、庶民の仕事師として生き抜き、素朴ではあるが、富や権力におもねらない正義感を抱いて、一生を終ったのである。」(『花と龍』)

『花と龍』は何度か映画化され、ヤクザ娯楽映画として描かれてしまった。そのため一族はヤクザ者として誤解され、迷惑したようである。哲さんのTVで、誤解が少しでもとけはじめるとよいと私は思う。
 でも、哲さんの顔は祖父・玉井金五郎にそっくりなんだ(テクストのP59の写真をごらん)。素朴さ、胆力、見識をかねそなえた器量人。顔も気質も、きっと隔世遺伝。
 祖父は石炭積出港で体をはる男たちから師父として慕われ、孫は中央アジアで農民や遊牧民の男たちから「ドクター・サーブ」(お医者さま)として頼られている。ともに男たちから命を託されるひとである。
「100の診療所より1本の用水路を!」パキスタン・アフガニスタンで1984年からハンセン病とアフガン難民の診療を続ける日本人医師が、戦乱と大旱魃(かんばつ)の中、1500本の井戸を掘り、いま、全長13キロの用水路を拓く。白衣を脱ぎ、メスを重機のレバーに代え、大地の医者となった著者が、「国際社会」という虚構に惑わされず、真に世界の実相を読み解くために記した渾身の現地報告。

放送の最後に「今の政府はアメリカからミサイルや軍需品をどんどん買っているけど、必要はないですよね…」