旭酒造・桜井博志さん♠ピンチをチャンスに変える運気アップの秘訣は



「市場の負け組」からの出発、杜氏に頼らない酒蔵に転換

どん底からの回復、さらに30年で数量16倍、売上40倍を果たした男、旭酒造の旭酒造社長「桜井博志」社長はもはや伝説の巨人となっています。

「獺祭だっさいDasai」
今や「純米大吟醸といえば獺祭」とのイメージがぴったり定着して、海外でも「日本酒イコール獺祭」と思われるほどの人気ぶり。

まもなく年産3万石(一升瓶で300万本)、年間売上高はかるく100億円を突破しているというから驚きです。

今回は、山口県の「旭酒造株式会社」日本酒業界の風雲児 旭酒造の桜井博志社長の復活劇、その神がかり的再建の秘訣を探りましょう。

(概要:同社の桜井社長の講演から)
舞台は高度成長期(1955-1973のほぼ20年間、為替変動相場制移行と石油危機の73年まで)終焉の1970年頃に遡ります。 高度成長期以前の日本酒といえば、大工の日当が500円/日の時代に2級酒一升が500円/日、だれでもたやすく飲めるものではなかった。「酒飲みは1級ではなく2級が好き」という、きわめて酒好きだけのものだった。 高度成長時代も終わりのころになると、大工の日当は2万円/日にもなったが、2級酒は1000円/日程度に留まり、誰もが酒を飲める時代となった。
しかも「晩酌にビール1本」と家庭にまでビールが浸透し、結果日本酒の売上は1/3までに下落した。これは清酒業界全体の傾向だった。
高度成長期終焉と同時に廃業寸前まで追い込まれ、小さな酒蔵だからと杜氏にも相手にされず、疲弊し自殺まで考えた。しかし、諦めずあがき続けた結果「大吟醸」に辿り尽きた。伝統の手法そのものを見直し、アイデアを出し、そして試行錯誤と失敗の連続を乗り越えて、ピンチをチャンスに変えることが出来たのである。
その後30年で需要16倍(売上40倍)を実現、さらにここ20年でも売上5倍を達成している。

1984年売上高9700万円の廃業寸前会社が、現在従業員約200名、売上高65億円。この企業はどのようにして地位を確立できたのか。

ピンチをチャンスに変えた、その開運の秘訣とは?

桜井社長は、これまでを振り返ってこう述べています。

20年前に、売れない地元に押し出されるように東京へ出て行った時、「地元をおろそかにすると今に泣きを見る」と地元の人から諭され、「もっと県内発展のためにみんなで足をそろえて努力すべきではないのか」・・と随分いわれました。

でも、今になってみると・・・「今、元気の良いのは山口の酒」といううれしい言葉も聞こえてくるようになりました。

また「世界で売れなければ日本酒の将来はない」と思って、輸出にも取り組んでいます。「日本酒の輸出」というような新聞や雑誌の記事があれば「獺祭」の名前が出てくることは珍しくありません。

私どもは今、純米大吟醸のジャンルで日本を代表する酒蔵と思っています。つまり日本酒業界のバッターボックスに今立っているんです。・・・・・立ったからには見逃しではなく全力でバットを振るのが使命と考えています。

考えてみれば、売れなかったから、山奥だったから、製造技術がなかったから、良いお米を買えなかったから、地ビールで失敗したからこそ現在があります。

まさにピンチが旭酒造を救い続けてくれたのです。人生に無駄な出来事はないと思います。 (2012 朝日新聞記事)

以下に要点をまとめてみます。

<諦めずにチャレンジ、データ分析とひらめき、そして「イノベーション」>

1素人だからこそ伝統を捨てられたこと。
(1)「酔うための酒」から「味わう酒」へ
・・・売れない酒をただ一生懸命に売るのはムダと気づく。

(2)伝統的な「杜氏」の廃止
   山奥の小さな酒蔵で杜氏からも見放されたピンチをチャンスに
   杜氏による伝統的には酒造りを廃止。「社長と社員のみ」で酒造り2試行錯誤や失敗の繰り返しに諦めない(神様は見放さない)
(1)販売方法の根本的見直し
  売れない商品を 売れない取引先を通じ、一生懸命売ろうとしていた(2)顧客の変化に気づく
・・・「玄人」から「素人」にマーケットの主役が変わった。
(3)個人個人の時代が到来、卸売り独占の終焉を予感
  売れる店でしか売らない
  ネットで個人に直接届ける。3逆境を乗り越えた自信がさらなるアイデアを産む
<ただ頑張る   → 良いアイデアを出す>
<ただ根性を出す → 良いシステムを構築する>
(1)お客様の幸せ指向商品
・・・高品質な大吟醸(幸せな気分になる酒)だけを造る
(2)常識を覆す。
   ①小さな蔵を逆に活かた製造形態
   ②四季醸造体制(蔵内を年中一定温度に保つ空調設備の導入)
   ③「遠心分離システム」の導入

世界の中で日本文化的ポジションを造る東京から世界へ

マーケットの中心を攻める桜井さんは先見性抜群で、極めてポジティブです。 

そして「数値化できるところはすべて数値化する」という極めて科学的な姿勢と「最後は人が判断する」という勝負師の「勘どころ」といったところでしょうか。

成功の秘訣を一言で言うなら、やはり、神がかり的な「イノベーション」

おそらく危機にあって必死に考えたのだろうと思います。

そして決してあきらめない「ピンチをチャンスに変える強いマインド」をもって逆境を乗り切ったことで「道が大きく開けた」ということですね。

とても参考になりましたね。

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追記:2017年6月 嬉しいニュースが飛び込んできました。

  • KURA MASTER」純米大吟醸部門にて金賞受賞!

2017年6月、「KURA MASTER」とはフランスで2017年より開催された日本酒のコンクール(品評会)です。

審査員は全員フランス人で、ソムリエ、アルコール飲料のスペシャリスト、レストランやカーブの経営者、シェフ、料理学校など、飲食業界で活躍中のプロフェッショナルなど。全ての出品酒はブラインドティスティングにより審査されます。

その結果、初年度は「獺祭 純米大吟醸 磨き二割三分」が純米大吟醸部門 金賞に選ばれました。    (佐野屋HP記事)