讃岐・金刀比羅宮、通称「こんぴらさん」
金刀比羅宮に隠された本当の霊力とは何か? 大きな秘密の一部に触れるのは最後にして、まずは「こんぴらさん」に纏わるいろいろな話題から始めましょう。
本宮の御祭神
本宮の御祭神は大物主神と崇徳天皇です。
大物主神は大国主命の和魂といわれ、国づくりにご尽力された大国主命の御神意のままに幸魂のご利益を授かることができます。 奥社までの長い1368段を登り切ると「長い苦労が報われる、果実収穫の機会」を授かると言われています。
さらに大物主神は時として荒御魂となることがあり、真心を尽くさないと大変なことになります。本宮から奥社の間には日本三大怨霊といわれる「崇徳天皇」や「菅原道真公」をお祀りした立派な神社もあり、
試練の思いを頂きながら、長い石段を登ることになります。
こうして心して奥宮までたどり着くことで、「試練を乗り越えるたくましい精神と充実した身心」を得る準備ができたということになる訳です。
〈本宮より讃岐平野を望む〉
奥社の御祭神
奥社は正式には厳魂神社 厳魂彦命は戦国時代に金比羅大権現の当別職にあり、金刀比羅本教の教祖となったのですが、山の護主を誓って山の神天狗になったと伝えられています。 神社の西側に断崖があり、天狗の彫刻面が2面あります。
ここでお祈りするのですが、奥社の拝殿の遙か遠方には出雲大社が、遙か後方には秘宝が眠っているといわれる剣山が一直線上にあります。
往古の歴史の伝説に登場する山の神天狗や剣山、そして出雲大社との繋がりが神話の世界を想像させてくれます。
いずれにしても、往古よりこんぴらさんは強力な霊力の集合する神域であることは間違いありませんね。
「こんぴらさん」の本当の霊力とは?
このように、金比羅さんには往古より、伏せておきたいダビンチコードのような背景があるようです。古代日本の国土を開拓したパワーが秘められていること間違いありません。
私たちはこのような歴史を心の目でみて感じ取ることが大事でしょう。その上で各々の事情でお参りすることに励磁されたパワーを頂けるのではないでしょうか。
江戸時代の「こんぴらもうで」
江戸時代には、伊勢神宮につぐ第二の聖地巡礼の地として全国からの参拝詣で賑わいました。
「こんぴら舟舟 追い手にほたてて しゅらしゅしゅしゅ」と古い民謡で、「お座敷遊び」でも歌われ親しまれた海の守り神として、人気を誇っていたのはみんな知ってしますね。
日本中の人がなぜこんぴらさんを目指すのか?
今の年間300万人の人が金比羅参りに全国から集まります。
「像頭山」は大物主信仰の聖なる山として、平安時代には既に琴平神社として広く信仰を集めています。崇徳天皇が合祀されてからは、朝廷からの特別な崇敬、さらに江戸時代には徳川家康の保護を受けて、庶民の絶対的な信仰を集めるようになります。
何故「こんぴらさん」がこんなにも人気となったのか?
興味ある諸説の一つにこんなのがあります。
尾張のある有名な霊能力者が夢のお告げを受けました。
「四国のこんぴらさんに行けばご利益がある」と
それ以降、庶民のこんぴら詣でが益々盛んになり幕府も認める。またご利益の噂が広まって、更なる参拝者が増える。海運の船乗り達が各所でご利益を説く。更に参拝者が押し寄せる。
この「ビジネスモデルのようないい流れ」が出来ていった訳です。
江戸時代の「ラスベガス」、ご利益の直接的な話題は「富くじ」と「歌舞伎」
実は、金比羅詣での賑わいようは、まさに江戸時代の「ラスベガス」(タモリ談)のようなところだったようです。
1835年建造の金丸座では有名な歌舞伎。その舞台は富くじの抽選場所にもなっていた。舞台の中央で抽選 月に2回(出雲は年1回)行われ、一等は今の宝くじと同じくらいだったと言われています。
からだが不自由だったり、経済的な理由からお参りに行けない人々は、参拝を人に託けて、参拝代表団を送り込むことになりました。
このように賑わいを見せた「こんぴら詣で」は、明治初め頃には4本の鉄道が琴平を目指して敷設されるまでに発展しました。
参拝の証が「こんぴらさん」でしか売っていない「飴」
このお土産の飴をみんなで割って食べる 今度は自分も行ってみたいとどんどん信仰心が昂揚してくる、といった具合
今もこの飴が金刀比羅宮の神域内でのみ販売されており、なんと鎌倉時代から800年も続きているというから驚きです。
信仰が広まったもう一つの理由は、金比羅の神様が海運の神様ということ。
瀬戸内海は海の交通の要所。 西回り航路を担っていた瀬戸内海の船乗りによって全国に「こんぴらさん」のご利益の噂を広めた。
こうして「こんぴらさん」のご利益にあずかる人が次から次へと奉納品を納めます。
直接参拝できない船乗りが海にお酒を海に落とす 「流し樽」それを地元の漁師がひろってお参り奉納する 両者にご利益がある
この結果境内に大変なことが起こった。 477段目から参道に 玉垣という全国からの奉納された石碑がところ狭しと建てられ、ついに迂回道ができるまでになった。ということです。
さてさて、「こんぴらさん」のもう一つ重要な秘密を冒頭に少し触れておきましたが、下記にもう少し詳しく「金刀比羅宮のデータ」を頭に入れてしておきましょう。
ここを理解するのとしないのでは、ご利益という点からも天地の差があるからです。
それはご祭神から推し量ることができます。 特に崇徳天皇の神霊をお迎えしてからは、「神威がますます著しく、暦朝皇室の尊崇はすこぶる篤く、諸大名から一般庶民まで広く信仰され、神徳はいよいよ昂揚した」(金刀比羅宮ホームページ)とあります。
崇徳天皇の怨霊は凄まじく、「われ、日本国の大魔王となって、復讐する」といった具合です。
明治天皇は、即位に際し、400人の勅使を讃岐に使わし、崇徳天皇の御魂を京都に召還し、白峯神宮を創建されています。
像頭山(琴平)の往古の歴史、日和山の中でも群を抜く霊力を感じた修験道の役子角のクンピーラ(鰐龍蛇)の神験、オオクニヌシの御魂など、古い時代から日本人が崇拝していた神域がここにあります。 |
ご利益を求める前に、「掛けまくも畏き御魂」に、お祈りしておくことがありますね。
^^^^^^^ 金刀比羅宮のデータや話題は他にも下記のとおり ^^^^^^^
本宮 金刀比羅宮 (別称、金比羅大権現)
ご祭神 >大物主神(すさのおの命の子・大国主命の和御魂、荒御魂は往古一の怨霊)
>崇徳天皇(第74代天皇、悲劇の上皇、日本最大怨霊)
奥社 厳魂神社 (いづたまじんじゃ)
ご祭神 >厳魂彦命 (修験道の聖地創始者)
境内社 常盤神社
ご祭神 >武雷尊(天孫降臨の武勇の神)
>誉多和気尊(仲哀天皇、神功皇后の皇子で八幡神)
白峰神社
ご祭神 >崇徳天皇
>待賢門院
>大山祇神
菅原神社
ご祭神 >菅原道真命 (学問の神様 無罪の罪で流され日本三大怨霊)
特記事項
大門まで365段目 金刀比羅宮の本宮まで785段
大門から神域に入り、さらに本宮の奥に奥宮がある 海抜421M
真井橋より、常磐神社、白峰神社を通り、538段目の奥に鎮座しているのが巌魂神社
神域では、5人百姓と呼ばれる人が鎌倉時代800年前から30代目、飴だけを売り続けている。
不完全メサ地形
本宮の位置 本宮までが傾斜が緩い花崗岩
ここから上は安山岩が硬い岩で急な地形 遠方からみると像の姿をしているので「像頭山」と言われている。
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