ローマ教皇が鳴らす警鐘「弱者への思いの強さ、出生率と命を育むの能力」

来日中のローマ教皇のお言葉で、とても新鮮な響きを持つ「警鐘」
がありました。

もちろん、東日本大震災への祈りと復興への思いも、私たちの胸
をうつものでありましたし、広島、長崎への原爆投下に対するお
気持ちもほんとうに、全世界に訴える大きな力を感じました。



中でも、とりわけ気を引いたのが、次のフレーズでした、

「各国、各民族の文明は経済力ではなく、困窮する人にどれだけ
心を砕いているか、そして出生率の高さと命を育む能力があるかに
よって測られる」と

日本が今抱える大きな社会問題に、痛いほどの共感力で語られたの
が印象的でしたね。

このような視点からのコメントは、過去聞いたことがなかったので、
とても新鮮でした。

皆さんはそう思いませんでしたか!?

そうか‼️

命をはぐくむ、ってそういうことなんですね。

戦争、大地震や天災で、多くの命、子供や赤ちゃんまでもが命を落
としています。

戦争の無い世界、核兵器のない世界の実現は突き詰めていけば人類
の「宝」幼い命を守り、育むという、大宇宙の意思(神)の御心に
かなうということだろうと思います。

教皇は次のようにもおっしゃっています。上智大学でのスピーチか
ら、

~2019/11/26 19:05 NHK総合 【ニュース7】~
フランシスコ教皇・日本滞在最終日のメッセージは…
ローマカトリック教会のフランシスコ教皇が4日間の締めくくりとして上智大学を訪れた。
みずからの出身母体である修道会「イエズス会」が設立した。
700人余りの学生にまず語ったのは、日本と日本の人たちの印象だった。
「日本での滞在は短いものだったが大変密度の濃いものだった。日本は効率性と秩序によって特徴づけられています。それだけにとどまらず、より一層人間らしく思いやりのある慈しみに満ちた社会を作り出したいという熱い思いを感じました。どんなに複雑な状況であっても自らの行動が公正、人間的であること。正直で責任を持つことを心掛け弱者を擁護する人になってください」と述べた。
ローマ教皇として38年ぶりの訪日。
被爆地から核兵器のない世界に向けた行動を呼びかけるなど、力強いメッセージを発信する一方、親しみやすい人柄を印象づけた。

教皇は日本の特徴として、
「効率性と秩序、さらに一層人間らしく思いやりのある慈悲に満ち
た社会を作り出したい、という熱い思い」の国だという印象をお持
ちになられた、と語っておられます。

その上で、「弱者を擁護する人に」と締めくくっています。

そして冒頭の言葉、繰り返しますが、
「各国の文明は、経済力ではなく、困窮する人にどれだけ心を砕
いているか、そして出生率の高さと命を育む能力があるか、によ
って測られる」というメッセージと深くつながっているようにも
感じられますね。




日本は今、少子高齢化、高齢化は長生きな人が増えた結果ですから
喜ばしいことです。

一方、

「少子」はとりもなおさず出生率が低いこと、つまり未来を担う新
しい命があまり生まれてこないこと、ですので、国家としては、
あるいは、
世界の進歩から、大きな視点で見ると、これは問題だろう、となる
のではないでしょうか。

さてさて、

この出生率の低さは、具体的にどのように問題なのでしょうか。

個人として見た場合には、実は寂しいことには違いないのですけれ
も、欲しいけれどもどうしても授からない人々も多くいらっしゃい
ます。

このような方を身近で見たら、どう助言するでしょうか。

このように言うでしょう。

「人数が増えたら、楽しみと同じくらいの数だけ苦しみや悲しみも
増えるのですよ。」

「人間一人でいることは、それなりに生きる意味があって、自分の
楽しみ方を見つけることが大切ですね。 周りを見てください。同
じような方々もたくさんいらっしゃいますね。」

「周りを見て、身近な人の子育てに関わってあげてみてはどうでし
ょうか。あるいは自分の家族、コミュニティをみて、人間らしい思い
やりの慈悲(ローマ教皇のお言葉)の精神を自身の心の中に育んでい
けたら、自分自身の成長にもつながるのではないでしょうか!」

といった仙人みたいなこともいってあげればいいですね。

もちろん、今の日本で暮らす人々の多くに、どうしようもない閉塞感
があるのも否定しがたい事実ですね。

右肩上がりの経済、年功序列でだれもが上がる賃金、一億総中流社会
など、今やまったくの死語となっています。

「年功序列はダメ。これからは実力主義、力のあるものが富を多く、な
いものはそれなりに」と、グローバルを目指す企業家たちの思惑どおり
の社会が現実のものとなっています。

事実、実力が傑出したアスリートは、並大抵の才能や努力があって、大
富豪(スーパースター)の地位を獲得していますし、周りもそれを素直
に喜び、称えています。

ゴルフのタイガーウッズなど、その典型ですし、彼を悪くいう人などは
ほとんど皆無ですね!(慰謝料でもめる元カノぐらいでしょう、悪くい
うのは・・・Σ( ̄□ ̄|||))

このケースでは、富(収入)の格差は当然、との思いが当たり前の感覚
でしょう。

また、

googleやamazonなどの超巨大企業の経営者も巨大な富を一代で築いて
います。

この場合でも、おおくの庶民の憧れの存在であって、実力でのし上がっ
たのですから、誰も文句いいませんね。

問題は何か!

「富の配分の格差」が広がりすぎることです!

話をローマ教皇のメッセージに戻して考えてみましょう。

「富める者と富まざる者の格差」が生み出すもの、それは悪の側面👍
差別、嫉妬、自己逃避、犯罪 といった社会が排除すべきもの
ですね。

一方、この社会は教皇のいう「慈悲に満ちた社会」にはなりにくい
という側面があることは否定しがたいことですね!。

このグローバルな流れを止めることは、ちょっと無理
ならば、国民だれもが「小さな幸せ」を感じられる仕組みづくりに
強者も弱者も助け合いの精神を育んでいくことこそが肝要

なのではないでしょうか!

耳より話68:困った時の「お地蔵さま」☘お地蔵さまの知らざる使命とは?

寅さんの映画にも登場する「お地蔵さま」の話です。

日常のちょっとした場面に、お地蔵さまを見るとホッ
としませんか?

私たち日本人の暮らしに、昔ばなしには無くてはなら
ない存在として、弱い庶民にいつも寄り添ってくださ
っていますね。

この「地蔵さま」のこと、もっと知りたいと思いませ
んか?



さてさて、

ちょっと難しく仏教的に調べてみると、だいたい次の
とおりです。

一体何者なのでしょうか?!

仏教にも神様がいるのはご存じでしょうか。

いわゆる、神社などでの祈願とちょっと違っているの
は、「神様」の定義が違っているからなのです。

仏教では「この世はこうだ」「あの世(来世)はこうだ」
という悟りを開き、仏のこころを持つのがおおきな意義
でもあるところですが、
でも、人間は「願う生き物」ですね。
色々な願い事が、生きている人の数だけあります。

神社で祈願する「願い事」と同じお願いことをお寺でする
ことも当然ありますね。

そんな時の神様は、仏教では「〇〇天」とか「〇〇菩薩」
とかになっていることに気が付いたでしょうか?

「お地蔵様」は「地蔵菩薩」といいます。

菩薩という名前には、次のような方がいます。

観音菩薩、勢至菩薩、弥勒菩薩、地蔵菩薩、文殊菩薩、
普賢菩薩、・・・ですね

「菩薩」は「菩提薩た」のことで、悟りに向かって努力
している人のことをいいます。(人間です)

この菩薩の下に仏教の「神」がいますから、ちょっと混同
してしまいがちですが、ここはしっかり区別しておかねば
なりませんね。

この菩薩の中で、日本各地で祀られ、とても馴染み深い、
身近な存在、それが「地蔵菩薩」すなわち「お地蔵さま」
です。

地蔵菩薩は、もともと地獄に落ちた人々を救済する菩薩で、
地位の高い存在なのですが、この菩薩の名を名乗る僧侶が
昔は日本に多くいたのだそうです。

その結果、よいことが村で起こると、うわさが広まって、
あの人が「地蔵菩薩」の化身だったのだ・・的な崇敬の念
を伴なった、いわゆる「あるある話」となって伝承されて
きたのだろう、と推測されています。



したがって、古来日本では「お地蔵さま」は人間の姿をし
ていて、法力があり、人々の願いを「救う」形で拾い上げ
てくださる、ありがたーい「菩薩」となったのだろうと、
いわれています。

言い換えると「お地蔵様」はこの世で、とてもやさしいお
姿で、路傍でニコニコと見守って下さる、実はとってもえ
らい仏さま、ということが分かったと思います。

ところで、一方、地獄の門には「閻魔大王」いわゆる「閻
魔さま」がいるのですが、

実はこの「閻魔さま」と「地蔵菩薩」つまり「お地蔵さま」
が同一人物というのを知っていましたか?

同じなんですね。

閻魔さまは「お地蔵さん」がした姿、

いやいや、

「お地蔵さん」は閻魔大王が変身したお姿なのだそうです。

これはこれこそ意外!! ですね。 (@_@)💦

そうです。

閻魔大王が天国行きか地獄行かをジャッジするのですが、
その前に、いろいろなところに出かけて、いろいろな人に
会い、色々な願いを聞いて、助けるためのあらゆる手立て
をしていらっしゃる。

そしてどうしても救えない者を閻魔大王の姿(最終の姿)
となって、苦渋の決断を下すっていう訳なのですね。

このように知ってみると、
やはり「お地蔵さん」にはすごいパワーがあって、必然と
して救いの手を伸ばしてくださるような「お祈り」や「お
願い」は、やはり聞いて下さるのだなあ、とおもいません
か?

鈴虫寺の「お地蔵さま」は草履(ぞうり)を履いていらっ
しゃるのだそうです。

ミノガサを被ったり、赤い頭巾を付けたりと色々なお地蔵
さんが、日本中のいたるところにいらっしゃるけれども、
草履を履いた「お地蔵さま」は鈴虫寺だけだそうです。

なんでも、

鈴虫寺のお地蔵さまは、一度お聞きになると、そのお願い
した人のところに、わざわざ出かけて行って、願い事を叶
えるそうなのです。

そのために、わざわざ出向くために草履を履いていらっし
ゃる、というのですから信憑性がありますね。

ぜひぜひ、願いを聞いてもらいたい人は、鈴虫寺に出かけ
みてはどうでしょうか。

でもでも、

注意事項が一つあります。

それは、鈴虫寺のお地蔵様は、願い事は「ひとつだけ」し
か聞かないのだそうです。

でも必ず聞き届けてくださるという事ですから、一度実現
すれば、次の願いをしに再び参拝するといいですね。

一回の願い事が1年だとすると、3年で3つの願い事、十
年だと十の願い事が叶うって訳ですから、とても頼もしい
お地蔵さまですね。

でもでも、

注意事項がいくつかあります。

一つ目は、自分の名前と住所を名乗ることを忘れないこと
ですね。
もちろんそんなことで知らん顔するようなお地蔵さまでは
ないでしょうが、くれぐれもご注意ください!

二つ目は、突拍子もないお願いはしないこと。当たり前で
すが、「それはもっともだなあ」という願い事でなければ、
聞き入れてくれないのは、言うまでもないでしょう。

この二つの注意事項を守れば、あなたの傍にも、ひょっと
振り向いたら、お地蔵様がたって、微笑んでくれているか
もしれませんね。



意外と知らないご利益☘「神社とお寺」の違い、って何?

あらたまって、「神社とお寺の違いって何ですか?」と問われるとあなたは
どう答えますか?

一言で言おうとすると、ちょっと戸惑うのではないですか。

かの有名な鈴虫寺の和尚さんはこうおっしゃっておられました。

「神社は神様のいらっしゃるところ」
「お寺は仏様のいらっしゃるところ」

実に簡潔ですね。

~~~ ☘ ~~~ ☘ ~~~ ☘

神社(神道)は日本古来固有のもので、お寺(仏教)はインドから来たもの
ですから、違うのも当然なのです。

それでも、

ふつう家には神棚と仏壇が共にあり、人々は神社にもお寺へもふつうにお参り
に行きます。 

神仏が自然と私たちの生活に密着しています。

近年増えたアパートやマンション暮らしで、部屋に神棚や仏壇のないところの
方でも、皆さん例外なく、神社には願掛けにいっているでしょう。

そこで、「神社とお寺」とご利益について簡単にまとめてみました。

題して

~「神社とお寺、ある宇宙人の見方」~

実は

基本同じなのですが、山に登る道は幾つもあるように、1つで別々なのです。

私たちはどちらでもいいのです。 次のように理解しましょう。

【神社】
★現世を無事生き、成人すれば国や社会に貢献することを神様(大神)に祈願する神域
【お寺】
★現世で生きている人間の苦しみを取り、来世の(極楽浄土)に行く悟りを得る仏域

したがってご利益でいうと、
【神社】
結婚の契り、安産祈願、節句、七五三、成人祝い、厄除け、還暦から白寿までの年祝いという生を神様に感謝しながら、社会貢献するための、神の御心に沿った生き方をすることを誓う中で、自分の「夢」を実現するという、ご利益を得られる。

【お寺】
生まれてから死ぬまで、生きている間には喜びと同じくらい苦しみや悲しみがある。それが当たり前なので、徳を積むよう精一杯生きることで仏のようになり、結果善神のご加護を受けるというご利益に授かる。
日常のちょっとした願いはお地蔵様が受け止めて下さる。

日本には「八百万の神」がいて、神羅万象に宿っていますし、善神だけではなく、悪神も多くいます。
邪な思いで祈願すると、悪霊にとりつかれ、地獄に落ちることもありますから、「くわばらくわばら」です。

まとめ。

ご利益を得るには、「神様に感謝し、大御心に沿った生き方、思い」を祈願することが大事ですね。
ちょっとした身近な事は「お地蔵様」にお願いするといいですね。

 

耳より話67:禅の言葉「一山行き尽くせば一山青し」心にゆとり、そしてチャレンジ

禅の言葉「一山行き尽くせば一山青し」

万福寺HPより

一つの山を越えると前方にはまた青い山が聳えている。
越えても越えても山また山の連続である。人生にもしばしば起伏があり、
紆余曲折がある。しかし、それを艱難と捉えずゆったりと受け入れることが大切であろう

あなたが若い人なら、立ちはだかる壁を乗り越えようと、再び戦いの炎を燃やすだろう
あたながミドルなら、一山乗り越えたと思ったらまた山、少し休んで再び前進するだろう
あなたが高齢者なら、人生少しは休みたいものだと思い、後ろを振り返り懐かしむだろう
あなたが仙人なら、コンドルとなって空を飛ぶだろう、そして人生を達観するに違いない

そして宇宙人のあなた、人生は山道を歩くのも、心身のトレーニングに良いと思うだろう

確かに「一山行き尽くせば一山青し」なのだが、
その先には、必ず「ゴールド」のゴールが待っている、

はずだ!!👍