一度は訪れたいパワースポット「ピサの斜塔」🍀イタリア満喫の旅






繁栄の象徴がフィレンツェなら、「ピサの斜塔」もまた世界中の人々を引きつける魅力的な奇跡のパワースポットです。

イタリア・フィレンツェまで来たら是非ピサまで足を伸ばしておきたいですね。

中世西欧一の高さ60mを目指して1063年に建設を開始した大聖堂の「鐘楼」は、ロンドン塔の基礎となったホワイトタワー27m(1078年建造)をはるかに凌ぐ巨大建築物だったのです。

【一口メモ:NHK歴史秘話ヒストリアより】

奈良の東大寺大仏殿には、当時すぐそば7重塔が二棟あったそうです。その高さおよそ100mと推定されています。
これが事実なら、恐らくピラミッドを除いて、当時の建築物世界一の高さだったのではないでしょうか。

大聖堂の鐘楼という位置づけは仏塔と同じと言えばそうなのですが、その国の富の象徴として建つ塔(タワー)として建立という一面もあり、現在でもタワーは世界中でその高さを競っていますね。

ピサの鐘楼は残念ながら、2階から3階を建設中に傾き始めました。湿地(ピサの名前の由来)の上にとてつもなく大きく重たい構造物をつくるのですから、現代でいえば、長い杭をたくさん地中に打たなければ、高い塔など立てることができないことなど常識ですが、当時の知識としてはどうしようもなかったのでしょう。

技術者たちがいろいろと苦心して、塔を立て直そうとしましたが成功しませんでした。それでも倒れてしまわないところが「ピサの斜塔」の凄いところ。

第二次世界大戦前にはあの「ムソリーニ」までが、必死に塔をこれ以上倒れないように塔の下部にモルタルなどで補強しようとしたようですが、徒労に終わったようですね。

それでも技術者たちの懸命の修復作業に「運」が味方したに違いありません。近年の土木技術の進歩が間に合い、1990年までは5.5度傾いていたのが現在では4度まで修復でき、今後200年は大丈夫とのお墨付きが出ています。

フィレンツェからピサへ

フィレンツェから列車で1時間ほど、車でも高速道路経由で100km足らず1時間ちょっとで人気観光地ピザに着きます。

せっかくドライブするならアルノ川沿いに車を走らせてもイタリアの田園風景を楽しめるのでお勧めです。

フィレンツェ市街をピサに向けて車で走行します。

高速道路からの風景も楽しみですね。日本の郊外とそれほど違った印象はないのですが、人口密度は少ないような気がします。

ピサ市内に入ると、やはりイタリアでもランドマークは駅ですね。列車の旅もレンタカーでも、ますはピサ中央駅からスタートして目的地まで行きましょう。

徒歩で大聖堂と斜塔のある「奇跡の広場」に歩いていってもそれほど距離はありません。バスも出ていますから、弾丸ツアーをお望みならバスに飛び乗って、さっと言ってみてもいいですね。

しばらく歩くと、ちょっと大回りですが、東側から近づいていくと見えてきます。

ピサの斜塔は何故奇跡のパワースポットとなったのか

多くの日本人観光客は、フィレンチェより半日のオプショナルツアーで「ピサの斜塔」を見に行きます。中世はイタリアを代表する海洋国家だったピサも、町にはその面影があまり残っていません。それだけに突然現れる大聖堂と斜塔は圧巻。

そのビックリにパワースポットとしてのエネルギーを感じて満足感で一杯になります。

ピサの斜塔はなぜパワースポットになったのか。それにはまず、大聖堂と鐘楼の塔の建設にまつわる話を聞かなければいけません。

ピサの塔建設秘話

「ピサ」は紀元前600年頃に”湿地”という意味のギリシア語が由来となった小さな港町が起源でした。この古い歴史のある町は、中世には海洋国家として繁栄し、軍事的にも強大な力を持つに至っていました。

そして当時の繁栄都市と同様に、壮大な建物建設に富を投入するようになりました。ピサの塔はこの頃建設に着手されたのですが、その財源は1063年にシチリア島を征服し、パレルモ市から略奪して持ち帰った多くの財宝でした。

ピサの人々は繁栄の印を世界に示すために、当時の世界一の高さを目論む偉大な大聖堂複合施設を建設して国家昂揚のシンボルとしようと意気込んだのです。

この大聖堂複合施設は、「大聖堂」「洗礼堂」「墓地」「世界一の高さを目論んだ鐘楼」の4施設で構成されていました。大いなる期待とは裏腹に、「ピサ」が湿地で出来ていて、壮大な構造物をしっかり支えるためには、相応の基礎部分の補強が必要なのに、対策を行わなかったという失敗に気付いたのは、建築が3階部分まで進んできた段階だったということです。

必死の建設

鐘楼が傾き出したのに気が付いた時点で「時すでに遅し」 建設をやり直すこともできず、かといって修正する方法も分からず。 建設はほぼ一世紀中断しました。

その後、何人もの技術者が何百年もの間修復を試みてきました。結果、塔はその都度前後左右に傾き、あのムッソリーニをもってしても修復できませんでした。 近年傾斜問題は深刻さを増し、安定化のための大がかりな修復がおこなわれて、やや傾き修復と安定化が完成したのです。

これが奇跡に繋がったのか

奇跡の一つは傾きながらも決して倒れなかったこと

人々が英知を結集して倒壊を防ぐ努力を続けてきたこと

ガリレオが重力の実験に使うという、人類の発展に貢献したこと

戦争や財政難の長い時代がかえってゆっくりと地盤の抵抗力を増す結果となったこと

第二次大戦中はドイツ軍の見張り塔として軍事目的になっていたので取り壊しの計画もあったが、アメリカ軍が当地に来てその美しさを称賛。一転して保存することに落ち着いたこと

ピサの斜塔の奇跡はこのような経緯でもたらされたのです。

主役に躍り出た斜塔

奇跡を後にもたらす斬新な設計コンセプト

更に今なお人々を魅了するそのバランスと美しさは、建設当時の斬新な設計コンセプトにあります。

中世、海洋共和国として繁栄を極めていた、ピサはその「富」を誇るために大聖堂の建設に着手するにあたって、旧来の建築様式に異国風を取り入れた、「ピサ様式」という独自様式を表現しようとしました。

それは、白い大理石を基調とした荘厳な大聖堂とドームの礼拝堂。そしてその傍らに大聖堂の鐘楼としての「白い塔」は、世界一の高さと荘厳さを兼ね備えるという斬新なコンセプトを取り入れたことです。

当初のもくろみどおり、荘厳な礼拝堂一群は「すばらしい価値を持つモニュメントの集合体」として、1987年にはユネスコの世界遺産に指定されたのです。

このように全体としても世界遺産の価値が高く、その建物群の中でも斜塔は類まれな奇跡を引き寄せて、現在も多くの観光客に感動を与えています。

この広場は「奇跡の広場」と呼ばれるにふさわしく、人の欲によってではあるが斬新なアイデアで建てられ、倒れかけ、しかし懸命の努力で持ちこたえ、天の助けもあり、現在は世界遺産として世界中から奇跡を見ようと人々が集まる、素晴らしいパワースポットなのではないでしょうか。

~~~~~ 以下に参考となる記事を紹介します。~~~~~~~

フィレンツェからピサまでの所要時間と列車案内はこちら→ 列車時刻と地図
市内観光の詳細な案内はこちらがお勧め(1) → 地元の人はこうしてる!始めてでもできる、安心のフィレンツェからピサへの行き方
市内観光のプロの旅行案内のお勧めはこちら(2)→マイたび@イタリア

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